bikennkobayashi’s blog

白血病からの逆転奮闘記

〈no,2〉白血病は突然に

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今日は7月5日、私が入院したのは6月8日なのでちょうど27日経ちます。

事の始まりは6月初旬、いきなりの40度の熱からでした。

私は今までこれといった大病もした事なく風邪も滅多に引かない健康優良児でしたのでこのレベルの高熱は(8年ぶり?)自分でも久々で驚きました。

初めはいつもの様にすぐ治るだろうと思っていましたが3日経っても高熱は続き、さすがに近所の内科に行きインフルエンザの検査を受けましたが陰性…先生は『多分ただの風邪でしょう、4日経っても良くならなかったらもう一度いらして下さい』との診断でした。

でも4日経っても40越の熱は続き衰弱する一方、再度内科を受信するとその場で大きな病院を紹介され緊急入院になりました。

この時から私の悪夢は始まりました。

入院しても容態は良くならず悪化していきました、5日間ほど私は原因不明でしたが6月12日先生から告知された病名は

急性骨髄性白血病』『血液の癌です』でした。

思いもしていなかった告知に頭が一瞬真っ白になりました。すぐ『私、死ぬんだ』と思うと涙が出ました。

「先生、私死ぬんですか?』と聞くと先生は

「なんとも言えません、これから抗がん剤治療をおこなってみてですね」

と言われました。

「私、まだ死にたくないです」…涙がとまりません。。

まるでよく見るドラマな世界が自分に起こっていました。

 

私の病状はとても悪くすでに40度越えの熱が2週間も続いていたため先生からすぐに抗がん剤治療を行いますと言われました。

抗がん剤で治ります?」と私が聞くと

先生は

「効く人もいれば効かない人もいます。1クール一ヶ月の抗がん剤治療を合計4回やりますもしその経過で抗がん剤だけで良くならない方は骨髄移植の方向も考えられます。」

「ただし骨髄移植は拒否反応などのリスクが低くないため、なるべく抗がん剤だけで撃退したいところです。」

抗がん剤治療始めたばかりに死亡するケースが少なからずあります」

「1〜2週間乗り切れれば生存率は8割型安定します。最初が勝負です」

と言うのです。

(そんなこと言われて軽々しく抗がん剤受けれないよー(>人<;)一回受けたらもう私目開かないかも知んないじゃん。。)

「先生、抗がん剤治療始める前に外泊させて下さい。」

私はもしそのまま目が開かなくなっても悔いが残らないよに、子供と両親、友達、主人を急遽誘い伊豆へ1泊2日の旅行へ即行きました。

死ぬかもしれないならしたいことをしたかった。ついでにその日も「夜家に帰ります」

と申し出たところ「許可できません」と言われたので

強行突破で外泊しました。

伊豆旅行は熱が40度越えで全身激痛で足が動かず歩けなくて車椅子で行きましたが、

私が重篤でホテルでもずっと苦しんでるため周りのみんなもどうしていいかわからず楽しむどころじゃなかったと思います。

あまりに具合が悪くなってしまったため次の日、朝一でホテルを出発し病院へ急ぎました。

ただ今までの病院「東京Iセンター」は医者のゆう事を聞かず無断外泊したと、重篤で死にそうな私に薬もくれず5時間も放置し待たせた挙句追い出しました。

(副院長にまで知れて俺の出世が…とか言ってたあの医者。。ありえない一生あの病院行かない)

そこで兼ねてより家族とも相談して転院しようと思っていた虎ノ門病院へ急遽入院申請をし他ところ、私のあまりの重篤さに即入院させて頂きました。

虎ノ門病院は血液内科では日本一の病院です。

私は自分の命をここになら預けれる、もしダメでも悔いはないと思いました。

その後2日間私は危篤状態で死の淵をさまよいましたが2日目すぐ抗がん剤導入を始め、1週間後には目覚ましい回復をしました。

熱もひき、あんなに痛かった全身のに苦痛も引き歩けるようになりました^ ^!!

奇跡ー!

ちなみに主人は2日目先生から「もしもの場合を覚悟しておいて下さい、ご家族に連絡取れるようにしておいて下さい」なんて言われてたらしいです。

 

あーひとまず助かったぜい〜✌️私生きてるー⤴️よかったー(≧∀≦)✨

 

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